畑田城

別名 畑田館  付近住所 滋賀県愛知郡愛荘町畑田 現在 天一神社
2009/7/20 案内板アリ


 畑田城は、鎌倉時代から戦国時代まで近江国の守護佐々木(六角)の家臣が居城し、戦乱時には、観音寺城を守る前線基地として機能していたと思われます。
 城の全貌はつかめないが、集落の北側に東西2百メートル南北百メートルほど、高さ3〜4メートルほどの土塁や堀が残っています。また、郭(土塁と堀で画かれる)は、横に六つ並んでいます。草の根広場の東側の薮には、土塁と堀・井戸が完全な形で残っています。これらの郭は、東側と西側の土塁のラインが一致しなく、中央の三つの郭が突出しています。この三つの郭が、原基的なもので東側や西側に翼のように広がる郭は、後に付加されたものです。
 郭が付加されるのは、戦乱が激しくなる戦国時代と考えられます。このころになると、かなり広範囲に集落を囲もうと努力し、戦乱に備えています。